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図録本 み仏とご利益 仏教美術密教図像仏像諸尊図像陀羅尼九重守三千仏図五秘密菩薩図像抄覚禅鈔宝寿抄不動明王愛染明王大黒天聖天歓喜天拍卖
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図録本 み仏とご利益 仏教美術密教図像仏像諸尊図像陀羅尼九重守三千仏図五秘密菩薩図像抄覚禅鈔宝寿抄不動明王愛染明王大黒天聖天歓喜天
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希少図録本 みほとけとごりやく 密教図像 密教絵画 仏教美術 仏像 仏画 日本中世の密教修法
御仏とご利益

神奈川県立金沢文庫
2004年
約30x21x0.6cm
64ページ カラー14ページ 本文モノクロ


※絶版



中世の人々が仏像・仏画にたくした祈りと、みほとけから授けられるご利益を、その目的「産生・成長」「敬愛・福徳」「息災・調伏」「除病・延命」「滅罪・往生」と尊像ごとに整理分類し、図版ごとに写真解説。
金沢文庫保管の関連資料とともに紹介した展覧会の会場限定公式図録本。

称名寺本尊弥勒菩薩立像の像内納入品である諸尊図像・陀羅尼等、俗にいう「九重守」は、170余種の図像・種子曼荼羅・真言・経文などで構成される7センチ弱の幅の版画を、11メートル余もの長さでつながれ、その多種多様な構成から、多くの利益が得られると信じられたもので、本書はこの九重守の全図を掲載し、こちらも非常に貴重な資料。

日本の密教美術・仏教美術・仏像・彫刻・古美術鑑賞に欠かせない知識満載、寺院、信仰の方にも大変貴重な絶版図録解説本。

【ごあいさつ】
 中世は、無常の道理を深く観察する時代でもありました。この時代に生きた人々の寿命は、今日とは比較できないほど短かく、平均寿命はせいぜい五十才ほどでした。そうした短命な時代にあって、人々は生・老・病・死とどう向き合っていたのでしょうか。
 称名寺に伝来したさまざまな密教の書物をてがかりに、中世の人々が一体の仏像、一幅の仏画にたくした祈りの内容と、みほとけから授けられるご利益をさぐってみました。
 かって白河天皇は、二十五歳の厄年の災いを除くため、曼荼羅寺の範俊に愛染王法をしてもらい、寿命を延ばされたということです。また源頼朝は、伊豆山の甲斐阿闍梨にたのんで大勝金剛法を祈祷してもらい、その呪文や「勝」の文字を鎧の袖に結んで戦勝を祈願したということです。中世の人々の願いは「延命長寿」「病気平癒」「滅罪生善」「後世安穩」「敬愛得益」などさまざまでしたが、まごころこめた人々の祈りや願いは、必ずや神仏の感応があると信じられていました。
 この企画展は、「産生・成長」「敬愛・福徳」「息災・調伏」「除病・延命」「滅罪・往生」などの項目を展示の柱に定めて構成してみました。中世の人々の生活と信仰の世界がどのような色彩を帯びていたか、その一端なりともご理解いただければ幸いです。
 最後になりましたが、本展示の開催のためにご協力を賜りました金沢区内のご寺院、ならびに関係機関の方 のご支援に対し、心から厚くお礼申し上げます。


【目次】
展示のあらまし
一、子供のみほとけ 産生・成長
二、愛と恵みのみほとけ 敬愛・福徳
《コラム》五秘密像に敬愛のご利益を願う
《コラム》大黒天信仰と西大寺流
三、災い除けのみほとけ 息災・調伏
四、長生きのみほとけ除病・延命
《コラム》金沢文庫近郊の薬師如来
五、来世へのみほとけ 滅罪・往生
《コラム》釈迦の舎利を納めた宝篋印塔のご利益
《コラム》三千仏の名を唱え、罪障を懺悔する
六、みほとけとごりやくの集合
《コラム》長谷寺観音信仰と中世律宗
【参考資料】称名寺本尊弥勒菩薩立像・像内納入品
諸尊図像・陀羅尼等(「九重守」)


【展示のあらまし】【各章の序文と、主な作品・解説を一部紹介】
 今日、我々が目にする仏像・仏画などの「みほとけ」は、何らかの目的を持って、造立されたり、祈りが捧げられたりしてきたものである。そして、目的がかなえられたとき、功徳すなわち「ごりやく」が得られたと考えられた。この展覧会では、ご利益に対応する神仏のみほとけを概観し、古代・中世の人々が仏像・仏画に対して、どのような祈りを捧げてきたかを探ってみようと思う。
 人々の篤い祈願に神仏が感応し、ご利益を与えたという話は古来数多い。平安時代前期の説話集「日本霊異記」には、大安寺の僧が大和・長谷寺の十一面観音に祈願し、鉄を得た話がある。称名寺にも、諸国の観音のご利益をまとめた「観音利益集」と呼ばれる説話集が四十五冊も伝来するが、このうち七冊が大和の長谷寺観音のものである。これは長谷寺観音のご利益の大きさを示すものだが、全国には長谷寺と称する寺院も数多い。このようにご利益は大きければ大きいほど、霊験利益譚として伝播し、説話や仏像・仏画を生んでいくものだった。
 一方、ご利益を得るには、神仏にひたすら祈願するとともに、密教が流入すると、本尊に対し呪術を行う、すなわち修法が執り行われるようにもなった。次頁に掲げた「諸尊法目録」には、ある尊格の修法により、どのようなご利益があるかが示されている。そこには子供の無事な出産を望む「産生」、福禄の増長、和合親睦など我々に恵みをもたらす「増益」「所望」「敬愛」、災害や他者の悪心など、害悪から守ってくれる「息災」「除災」「調伏」、命をを長らえる「除病」「延寿」、罪業から救われる「滅罪」などの言葉がみえる。密教の流入による各種修法の盛行は、ご利益を組織立てていった。
 以上、ご利益は、不安定な古代・中世の世界において、人間の一生で渇望されたものである。これらのことを踏まえ、「みほとけ」と「ごりやく」を概観する展覧会を企画したわけであるが、その構成にあたっては、人間の一生生・老・病・死にまつわる利益を軸に、「子供のみほとけ」「愛と恵みのみほとけ」「災い除けのみほとけ」「長生きのみほとけ」「来世へのみほとけ」の五項目を設けた。また、人々の祈り・願いが大きいときは、多くの神仏に、多くの利益を求める場合もあったと考えられるので、最後に「みほとけとごりやくの集合」という一項目も加えた。

「諸尊目録」鎌倉時代
著名な図像集「別尊雑記」を編纂した、高野山常喜院の心覚による諸尊法の目録。それぞれの尊格には産生・増益・所望・「息災、除災、調伏,呪詛、除病、延命、滅罪などの注記がみられる。一つの尊格に多数の利益を求める場合もあった。

<一、子供のみほとけ産生・成長>
 かつて古代・中世だけでなく、戦後もつい最近まで、子供が産まれることは、常に母子ともに生死に関わることであった。現在においても、妊娠すると多くの人達が安産を寺社に祈願し、子供が産まれれば、その無事な成長を願ってお宮参りをする。ここでは、子供の出生・成長に関わる「みほとけ」とその「ごりやく」を紹介したい。
古代・中世において出産は生死に関わることであり、このことから冥界を司る仏である焔摩天を中心に構成される焔摩天曼荼羅図は、除病延命・息災安穏の利益とともに、安産祈願の修法にも用いられた。また、出産に先立ち、妊娠を願うこと=求児の祈願も行われたが、その対象が高貴な身分の人、皇族や貴族であれば、それは極めて政治的な意味も含む一大事であった。このことに関連して、平安時代前期に京都・山科に醍醐寺を開創した僧聖宝は、准胝観音を祀り、醍醐天皇の皇子誕生の効験を示し、それが同寺隆盛のきっかけになったともいう。
 さて、子供が無事に産まれても、その成長となると、かつてはこれもまた、おぼつかないことであった。子供が色々な病気にかかれば、それは十五種類の鬼神の仕業とされ、その鬼神を退治するという八部衆の一人、乾闇婆王を中心に描く童子経曼荼羅が図絵され、子供の除病を願う童子経法の本尊とされた。また、鬼子母神は、他人の子供を捕らえ食う鬼女であったが、仏教に帰依することにより、評梨帝母という子供を護る善神となった。訶梨帝母(鬼子母神)は、その持物である石榴のイメージとともに、現在でも子育ての仏としてなじみ深い。そして、子供が無事成長し、十三歳になると、近世以降、各地において十三参りが行なわれているが、これはいずれも虚空蔵菩薩を本尊とする寺への参詣である。なぜなら虚空蔵菩薩は、求聞持法という修法により、記憶力を増進させ、智慧を授けると考えられているからである。

「産生類聚抄」 鎌倉時代
称名寺二代長老釼阿の自筆本。上下二冊からなり、出産にかかわる「求子産生」「転女成男」「解脱難産」「所生長養」「婦人雑事」「産生因起」「医家所用」「産雑記」の八項目からなる。その内容は密教による呪術と、唐・宋時代の医学書による臨床的な解説に大きく分かれる。一説に「日本最古の産科医書」とも言われる。

ほか

<二、愛と恵みのみほとけ 敬愛・福徳>
 誰からも尊敬されたい、愛されたい。出世して、豊かになって財産を得たい。古代・中世の人々のみならず、これは現代人も、最も神仏に求める利益の一つといえるだろう。ここでは、人々のこれらの欲求を満たす「みほとけ」とその「ごりやく」を紹介したい。
 人々の敬愛を得たり、和合親睦を祈る密教の修法として、敬愛法がある。その本尊として、代表的なものに歓喜天と愛染明王が挙げられる。歓喜天は象の頭に人の体を持つ、象頭人身の独特の姿で、二体が抱擁し合うものが多い。そのかたちは、まさに敬愛を象徴するもので、後には性的な部分ばかり強調されたりもするが、利益は絶大で、敬愛法のみならず、増益・息災・調伏法の本尊として中世には盛んに信仰された。一方、愛染明王も敬愛法の代表的な本尊となる。形制は、三目を付けた顔、六本の腕、真っ赤な身体を持つ、一面三目六臂の赤肉身となる。その印象的な「赤色」は、愛欲を象徴するものとされ、敬愛法は修法壇の色、行者の着る法衣の色などが、赤で統一されるという。
 人々が豊かになり、福徳を得る。そんな願いをかなえる身近な神仏に七福神がある。このうち大黒天・毘沙門天・弁才天は、中世の人々も盛んに信仰し福徳・施財を願った。大黒天は本来、摩訶迦羅という戦闘神・冥府神だったが、一方で食厨に祀れば福徳を得るものとされ、形制も三面六臂の恐ろしい姿から、烏帽子・狩衣・袴を着け、財福を象徴する大きな袋を持つものとなる。その顔も室町時代を転換期として、忿怒相から慈悲相に変わる。弁才天は、本来、弁舌・音楽・除災増福・戦闘などに功徳があるとされ、八臂のものは戦闘神、二臂で琵琶を持つものは音楽神としての性格が表されるが、中世以降になると、蛇神の化身で食膳を司る宇賀神と結びつき、もっばら財福神として信仰され「弁財天」になる。毘沙門天も戦闘神と福徳神の両様の性格を持つ。平安時代から鎌倉時代にかけては戦闘神として、室町時代以降は福徳神としての性格が強くなる。またその妻とされる吉祥天も古代以来、福徳をもたらす仏で、その霊験は説話にも登場する。

歓喜天立像 銅造 鎌倉時代  龍華寺所蔵
歓喜天(聖天)は、その頃を象、体を人身とするのが特数で、一般的なのは本像のように双身でお互いに抱き合う形のもの。利益は絶大で、富貴を得る増益法や、障難を除く息災法の本尊ともされるが、やはりその特殊な像容から、和合親睦を祈る敬愛法の代表的な本尊とされる。彫像の場合、多くの遺例が小金銅仏となるが、これはその歓喜天法(聖天法)が、本尊を秘仏にして油を注ぐ儀式(浴油法)が行われたことによる。

「図像抄」巻九・天等 上 鎌倉時代
歓喜天は、象頭人身の二体が抱きあうかたちが一般的だが、四本や六本の手(四臂・六臂)を持つ単身像の例もある。

「覚禅抄」聖天法 鎌倉時代
これは三頭一身四臂像の例。歓喜天はその霊力が大きい分、像容も多種多様である。

「聖天壇様」鎌倉時代
自行時壇様 灌頂壇様 許可壇様
最近、新たに見出された歓喜天法(聖天法)一結の内の一つ。敬愛・福徳など、用途に応じた九種類の聖天壇の図が描かれる。聖天法の利益が大きく、かつ多様であったことが窺える。

愛染明王坐像 木造 鎌倉時代 龍華寺所蔵
愛染明王もまた、歓喜天同様、その特殊な像容を反映し、利益は増益・息災・調伏と多岐にわたるが、尊名に表されるように和合親睦を祈る敬愛法の代表的な本尊となる。像容は「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」(「瑜祇経」)に説かれ、そこには一例として、香木の白檀から、五指を並べた大きさで造像することが説かれる。この愛染明王像を「五指量像」というが、本像は鎌倉時代に遡る貴重な遺例。

「覚禅抄」愛染王法 下
鎌倉時代愛染明王の姿は、一面三目六臂で、逆立てた髪に獅子冠を着け、身色を真紅、宝瓶を台座とするのが基本だが、いくつかのバリエーションが知られる。上段向かって右の図は宝瓶を表さない弘法大師様、左の図は京都東山の禅林寺を開いた宗叡様、下段は右から、宇治の平等院様で弓矢を番えるのを特徴とし、隣りの円珍様は番えた弓矢を空に向ける、いわゆる「天弓愛染」で、天台宗系の寺院で受容されたものとされる。

「別尊雑記」卷四十四・弁才天・伎芸天
鎌倉時代本図は八臂の弁才天で、仁和寺本「別尊雑記」の注記によれば「竹生嶋弁才天」とされる。
琵琶湖に浮かぶ竹生島は古来、弁才天の霊所である。一説に江ノ島の弁才天も、源頼朝が文覚上人の勧めにより、竹生島から勧請したという。なお、その下に描かれる三目六臂像は、仁和寺本「別尊雑記」の注記によれば「唐本」という。

「諸尊図像集」天等部下・弁才天鎌倉時代「金光明最勝王経」によれば、弁才天は、弁舌・学問・音楽・除災増福・戦闘などに功徳があるとされるが、中世以降になると、蛇神の化身で食膳を司る宇賀神と結びつき、財福神としての性格が強くなる。その図像は大きく分けて、二臂と八臂のものがあり、二臂像は琵琶を抱えた音楽神、八臂像は戦闘神的性格が表される

大黒天像 一面 絹本著色 南北朝時代
個人所藏袋を担いで走る姿から、「走り大黒天」ともいわれる大黒天の画像。大黒天の袋は円相に表され、その中に宇賀神を頭に乗せる八臂弁才天と、眷属の十五童子、狐に乗る荼吉尼天が描かれる。茶吉尼天は大黒天の眷属ともされ、孤を媒体に稲荷神と同一視され、福神として信仰された。また宇賀神・弁才天とも同一視される。本図はこれらゆかりの深い三つの福神を一図に描いた、例を見ない特殊な図様となる。

「覚禅抄」大黒天神法 鎌倉時代
大黒天は本来、戦闘神、財福神、冥府神として位置付けられる。「覚禅抄」大黒天神法には時代により変化した、いくつかの形式の大黒天図像を所載する。①図は、胎蔵界曼荼羅における姿で、本来の戦闘神的性格を残すもの。②図は、中国僧義浄が七世紀ころ、インドでみたという系統で、これは唐から、平安時代前期に我が国に伝えられ、天台宗を中心に受容された。③図は、現在最も多く受容されている大黒天の姿に近く、頭には烏帽子を被り、狩衣・袴を着け、財福の象徴である大きな袋を背負う。

<三、災い除けのみほとけ 息災・調伏>
 古代・中世において、自然災害や、疫病の流行は、人の知恵ではいかようにもし難いものであり、その原因も多くは目に見えるものでないため、鬼神や呪詛などによる仕業とされた。そして神仏の加護により、その害を避けたいと考えられた。ここでは災害や戦争、疫病などの害を避け、安穏をもたらすと考えられた「みほとけ」とその「ごりやく」を紹介したい。災いを避ける修法としては、密教の四種法のうち、災いを除滅する息災法と、敵対する者を降伏させる調伏法(降伏法)の二つが挙げられる。その代表的な本尊といえば、現在でも最も身近な仏の一つ、不動明王だろう。不動明王は、敵対するものを従えるため、怒りをあらわす忿怒形で、一般に右手に剣、左手には羅索を持つ。そして、不動明王を中心に、同じ忿怒形で多面多臂の、降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の各明王で構成される五大明王は、密教における大法の一つ、五壇法の本尊となる。もっぱら、これら息災法や調伏法の本尊とされるのは、多面多胃や忿怒形の、明王を中心とする異形像が多い。
 前章で紹介した愛染明王も敬愛法の本尊とされる一方で、調伏法にも用いられた。その威力が絶大だったことは、東宮だった後三条天皇による後冷泉天皇調伏に象徴されるだろう。災いを鎮め、天皇の長寿と国の安穏を祈る、鎮護国家の修法にも様々なものがあったが、ここでは大般若会と転法輪法にともなう神仏を紹介する。大般若経は六百巻にも及ぶ大部な経典で、護国経典とされ、これを読み上げ(転読)、鎮護国家・除災招福を祈る行事として大般若会がある。大般若会は古代以来、宮中や大寺を中心に行われたが、後には日本各地の寺院でも行われるようになった。本尊とされるのは、釈迦三尊と大般若経を守護する十六の善神を一幅に描いた釈迦十六善神像だが、それは大般若会の盛行を物語るように中世に遡る遺例が各地に残る。一方、転法輪法は怨敵退散・護国安穏を目的に行われるもので、その壇上には国家を守護する十六の夜叉神を描いた筒形が置かれ、その中には災いをもたらす怨敵の人形が封じ込められたという。

「宝寿抄」金沢文庫文書紙背 鎌倉時代 重要文化財
「宝寿抄」は、永仁三年(1295)に、僧禅意の口伝を弟子真源が書き留めたもの。書名は筆録された場所、陸奥国磐城郡の薬王寺宝寿院にちなむ。称名寺本は鎌倉時代末期、元亨年間頃の第三転写本。そのなかには、いくつかの異形の不動明王が描かれる。①図は円珍請来像。②図は六臂像。不動明王は盛んに信仰されたため、鎌倉時代後期には多数の異形像が成立していたと考えられる。

「覚禅抄」大勝金剛法 鎌倉時代
大勝金剛は息災、敬愛法の本尊とされる。天台宗系では大日如来から派生したものとし、真言宗系では金剛薩?、愛染明王と同一視される。「瑜紙経」によれば、その像容は光明を発する五髪を結い、十二臂、身色は日の如しという。①は所説による独尊像で、②はその別尊曼荼羅。実際の大勝金剛曼荼羅の作例には紫絹金泥の醍醐寺本や、彩色本の高知・金剛福寺本などが知られる。

「覚禅抄」愛染明王法下 鎌倉時代
愛染明王は敬愛法の本尊として代表的なものだが、その一方で怨敵・魔障を降伏する調伏法にも用いられた。この話で著名なのが後三条天皇即位に関するもの。後三条天皇が東宮のころ、後冷泉天皇からなかなか譲位を得られなかったため、愛染法を修したところ俄かに後冷泉天皇は崩御され、即位を遂げられたというもの。その調伏に際しては、天皇の諱を書いた紙片を愛染明王に持たせたという。

「覚禅抄」大威徳法 鎌倉時代
これは別尊曼荼羅である大威徳曼荼羅の図。これとほぼ同じ図様で、南北朝時代に南朝方の僧文観が、絵仏師巌雅に描かせたという大威徳転法輪曼荼羅が現存しており(個人蔵)、北朝方の呪詛降伏に用いられたと想定されている。

「覚禅抄」軍茶利明王法 鎌倉時代
この軍荼利明王は、智証大師円珍が請来した図像で、坐像で眷属を伴う。天台宗系の寺院で行われた。空海請来の五大明王図像に対し、円珍請来の図像は、みな坐像で眷属を伴い、金剛夜叉明王に替えて鳥樞瑟摩明王とするのを特徴とする。

「別尊雑記」卷三十六・転法輪・十六大護図鎌倉時代
十六大護は仏法・国土を守護する十六の夜叉神で、十大夜叉、三大龍王、三大天后からなり、怨敵退散・護国安穏のために修せられる転法輪法に用いられる。転法輪法では修法に際し、転法輪筒という筒形に怨敵の姓名を記した紙片を入れ護摩壇上に安置するが、十六大護はその筒の周囲に描かれる。実際の遺品としては、京都・高山寺の僧明恵ゆかりとされるものが有名だが、称名寺の聖教中にはこの十六大護図を描いたものが数点知られる。

「覚禅抄」転法輪法 鎌倉時代
これは転法輪筒に用いられる蓋の表と裏の図。蓋の表には八幅輪が描かれ、その間に梵字で真言陀羅尼が書かれる。

ほか

<四、長生きのみほとけ 除病・延命>
 人間は病気に罹る。医療の発達した現在は、すぐに病院へと駆け込むだろう。古代・中世においては、医道と呼ばれた医術の専門家もいたが、仏教では神仏に、病気からの回復=除病や、命を永らえること=延命が祈られた。ここでは、除病や延命にかかわる「みほとけ」とその「ごりやく」を紹介する。
 除病・延命の仏と言えば、すぐに頭に浮かぶのが、薬師如来である。薬師如来はその名前に象徴されるように、除病や延命を願う本尊とされる。我が国では、天武天皇が皇后(持統天皇)病気平癒のために建立した奈良・薬師寺の本尊がよく知られる。ただ薬師如来は後に、除病や延命だけでなく、仏にその罪障を懺悔する悔過の本尊ともされたり、鎮護国家の寺である国分寺の本尊とされたりもする。様 な背景を持ちながら薬師信仰は展開して行く。
 密教の修法で、増益延命を祈るものに「金剛寿命陀羅尼念誦法」による普賢延命法がある。そこでは本尊として普賢菩薩が招請され、普賢延命菩薩となり密教的な形制となる。延命法は、当初、玉体安穏を祈る国家的修法であったが、平安時代後期から鎌倉時代には、天台宗や真言宗ではその像容を違えながら、増益延命のために広く一般にも行われるようになる。
 現在でも馴染みの深い地蔵菩薩も除病・延命を願う仏とされる。地蔵菩薩は釈迦入滅後、弥勒仏が現れるまでの無仏時代に、地獄・餓鬼・畜生,阿修羅・人間・天上の六道を輪廻転生する衆生を救うという。殊に地獄救済はその本願とされて、平安時代以降になると、地蔵菩薩により地獄に堕ちたものが救われ生き返る=地獄蘇生譚が広く語られようになる。そして中世以降になると、地蔵菩薩は延命地蔵として日本各地で信仰されるようになった。

普賢延命菩薩像 額装 一面 絹本著色 鎌倉時代 龍華寺所蔵
普賢菩薩は密教の修法、延命法に用いられたとき普賢延命菩薩となる。その姿には大きく分けて、天台宗系の二臂像、真言宗系の二十臂像の二種類がある。台座も、天台宗系では一身三頭の白象で、さらにその下に群象がおり、真言宗系は四頭の白象で、それぞれの頭上に四天王が乗る。龍華寺本は二十臂で、四頭の白象上に坐すが、その下には群象が描かれる。いわば真言と天台の図像を兼ねた珍しい図像で、かつ作風も鎌倉時代後期の堅実なものを示す貴重な遺例。

ほか

<五、来世へのみほとけ 滅罪・往生>
 人間は罪多きものである。その罪を仏に懺悔して救いを請うこと=滅罪や、死後、仏の世界に生まれ変わって救われること=往生は、地獄世界も強く認識されていた古代・中世の人々にとって、切実に願われるものであった。ここでは、その滅罪や往生に関する「みほとけ」と「ごりやく」を紹介する。
 古来我が国では、神事として六月晦日と十二月晦日に穢れを祓う=大祓が行われ、身の清めが願われるが、これに対応する仏事が十二月に行われる仏名会である。仏名会では「仏名経」にもとづき、三千の仏の名前が鳴られ、一年間の罪障を懺悔滅罪し、新年に向けて清浄な身となることが願われた。奈良から平安時代初期に宮中において始まり、後に各寺院においても年中行事として行われた。また、この行事では三千仏の画像が掲げられるとともに、平安時代の「枕草子」や「栄華物語」からも知られるように、地獄絵屏風も置かれ、より一層の懺悔を促したらしい。称名寺にも中世に遡る甲・乙二本の三千仏と、いくつかの仏名会関係の史・資料が伝来し、中世律宗でも盛んに仏名会が行われたことは注目される。死後、どこへ行くか。この人間最期の問題について仏教では、仏の世に生まれ変わり救われるか、もしくは地獄に堕ちて無限の苦しみを受けるか、という大きく分けて二つの世界がある。古代・中世の人々は、仏にすがって、ひたすらその浄土に生まれ変わること、すなわち往生を願ったが、浄土にも仏により種類があった。最も一般的なのは阿弥陀如来の極楽浄土で、その名号「南無阿弥陀仏」を唱えて極楽往生を願い、往生が確約されると、阿弥陀仏自らが観音・勢至をはじめとする諸菩薩を従えてやって来る=来迎があると信じられていた。したがって阿弥陀如来は、多くは来迎の姿で表される。
 一方、ここ金沢の地では、一般的な阿弥陀の極楽浄土だけでなく、弥勒菩薩の兜率天浄土に往生することも願われたらしい。称名寺や龍華寺の本尊、光明院の小像がその信仰の一端を示すものだが、この兜率天往生を願うことは、専ら中世においては興福寺を中心とする南都において行われ、西大寺律にも流入した。したがって弥勒菩薩への信仰は、中世律宗の栄えた金沢の特色ととらえることができる。

三千仏図 過去幅
三千仏図 二幅 絹本著色 鎌倉時代 過去 神奈川県指定重要文化財
三千仏図は、仏の名を唱え、罪業を懺悔し、滅罪を願う仏名会の本尊として用いられた。
三千仏は過去・現在・未来の千仏からなるが、称名寺にはその三部を一幅に描いた甲本(旧海岸尼寺本、貞和六年・1350)と、過去と現在の千仏二幅からなる乙本の二系統が伝来する。本図はその乙本。乙本については未来幅を欠くが、これは未来仏の称名寺本尊弥勒菩薩像を中心に過去・現在の二幅を懸けたという説がある。これを認めるならば、正和五年十二月一日の金沢貞顕の書状には称名寺で仏名会が行われることが書かれており、本図の群青や緑青、截金を多用する作風は、同寺の最盛期である鎌倉時代後半期にふさわしいものといえよう。

ほか

<六、みほとけとごりやくの集合>
 「みほとけ」とその「ごりやく」について、生・老・病・死を軸に、敬愛や福徳、息災や調伏にまつわるものを交えながら概観してきたが、最後に「みほとけとごりやくの集合」として、多くの尊格を並べ、利益の増大を意図したものを紹介したい。
 現在金沢文庫に保管される十一面観音立像は、かつて称名寺に隣接した海岸尼寺の本尊で、その脇侍には不動明王・毘沙門天立像があった。その後身である海岸寺の明治時代の廃絶以来、十一面観音は金沢文庫、両脇侍は称名寺金堂に安置されていたが、今回の展示で三尊復元を試みた。十一面観音に、不動・毘沙門の脇侍を付けた根拠として、観音が三十三の姿に変わり衆生を救う説=三十三応身説で、その一つに毘沙門天があることが考えられるが、不動明王については明確でない。いずれにせよ、平安時代後期から聖観音や千手観音、十一面観音の脇侍形式として広まり、鎌倉地方では中尊を阿弥陀三尊とする事例が知られる。
 龍華寺の刺繍・伝十三仏像は、鎌倉時代に遡る可能性がある精巧な作品だが、十三仏はあくまでも伝承で、大日如来を中心とする三尊、釈迦三尊、不動・地蔵をそれぞれ組にして、構成された諸尊集会図であり、その造像目的の研究がまたれる。なお、その前列にみられる不動・地蔵も、不動・毘沙門と同じく、脇侍の一形式として展開する。
 称名寺本尊弥勒菩薩立像の像内納入品である諸尊図像・陀羅尼等、俗にいう「九重守」は、まさに様々な利益を含む集合体である。170余種の図像・種子曼荼羅・真言・経文などで構成される7センチ弱の幅の版画を、11メートル余もの長さでつないでいる。その多種多様な構成から、多くの利益が得られると考えられたためか、近世にも同種のものが開板され「お守り」として広く流布した。
 冒頭の概説でも述べたように、一つの尊格に求める利益は一面的でなく、多様なものがあった。そして、その逆に求められる利益が多様な時は、多くの尊格が並べ立てられて衆生を救うことが求められたのだろう。

諸尊図像、陀羅尼等(九重守)鎌倉時代 紙 重要文化財
称名寺本尊弥勒菩薩立像の像内納入品。諸尊の図像、種子曼荼羅、真言陀羅尼、経文などを表した摺り物を、二十九紙もつないだもので俗に「九重守」と言われる。弘安八年(1285)の刊記のある奈良・西大寺本(文殊菩薩騎獅像,像内納入品)が類品として著名だが、称名寺本は、鎌倉時代説と十六世紀追納品説の二説がある。称名寺本の特色としては、西大寺本には無い、地蔵十王図と普賢十羅刹女図が加わることなどが挙げられる。またその目的については、近年、泰山府君を主とした冥府の効用と追善供養の意図があったのではないか、という説が呈示されている。ここでは次ページ以降に、参考のため、11メートル余の全図を図版で紹介した。

【掲載作品】一部紹介 制作時代、所蔵先、重要文化財・重要美術品等の指定記載
産生類聚章
産秘抄
准胝観音坐像 称名寺所蔵
覚禅鈔 准胝法
焔摩天曼荼羅
図像抄 巻十 天等下・焔摩天
図像抄 巻十 天等下・十五童子
図像抄 巻十 天等下・訶梨帝母
覚禅鈔 訶梨帝母法
覚禅鈔 求聞持法

歓喜天立像 銅造 鎌倉時代 龍華寺所蔵
図像抄 巻九 天等上
覚禅鈔 聖天法
聖天壇法 鎌倉時代 除病時壇様 愛敬時壇様 福徳時壇様 調伏時壇様 官位時壇様 息災時壇様 自行時壇様 灌頂時壇様 許可時壇様

五秘密像 絹本著色 鎌倉時代 個人所蔵
愛染明王坐像
覚禅鈔 愛染王法 下
愛染明王像
種字愛染明王図
愛染曼荼羅
覚禅鈔 毘沙門天法
別尊雑記 巻五十四 多聞天
諸尊図像集 天等部下 吉祥天
吉祥天女与福事 無尽布袋
別尊雑記 巻四十四 弁才天・伎芸天
諸尊図像集 天等部下 弁才天
大黒天立像 セゾン美術館像 重要美術品
大黒天像 絹本著色 個人所蔵
覚禅鈔 大黒天神法

不動明王二童子像 鎌倉時代
不動明王二童子像 室町時代
不動明王二童子像 鎌倉時代
不動明王像 鎌倉時代
宝寿抄
覚禅鈔 不動上
覚禅鈔 大勝金剛法
諸尊同秘訣 大勝金剛法
大勝金剛像
厨子入愛染明王坐像
覚禅鈔 愛染明王法下
図像抄 巻八 忿怒 降三世明王 大威徳明王 金剛夜叉明王
大威徳明王像
覚禅鈔 大威徳法
覚禅鈔 軍荼利明王法
釈迦十六善神像
伝釈迦十六善神像
別尊雑記 巻三十六 転法輪・十六大護図
覚禅鈔 転法輪法

薬師如来坐像
普賢延命菩薩像
図像抄 秘法等 普賢延命菩薩
覚禅鈔 延命法
普賢延命法勤行例
地蔵菩薩坐像
即如房沙弥戒好相日記

金銅装宝篋印塔
宝篋印タラニ経尺
三千仏図 現在編 過去編
三千三劫摺仏 重要文化財
弥勒菩薩坐像
弥勒菩薩坐像
厨子入白檀製阿弥陀三尊像
えんさい願文 重要文化財
観音・勢至菩薩立像 鎌倉時代
阿弥陀如来坐像 室町時代

十一面観音立像 鎌倉時代 重要文化財
不動明王立像 鎌倉時代
毘沙門天立像 鎌倉時代
観音利益集
刺繍 伝十三仏像
諸尊図像・陀羅尼等 九重守 鎌倉時代 重要文化財
〈図像〉
 地蔵十王図  普賢十羅刹女図 千手観音二十八部衆像
〈梵字〉
 般若一印咒  同小咒  烏枢沙摩 諸厭清浄決定成就功徳真言
〈種字曼荼羅〉
 八大明王 愛染王 不動明王 毘沙門 尊勝 烏枢沙摩真言 二十五菩薩 普賢経 無量義経 八巻 七巻 六巻 軍茶利 降三世 不動 五大力 随求即得 延命 薬師十二神将 三十頌 仁王経 如意輪 准提
〈経文〉
 唯識三十頌  仏説却温黄神咒経
〈種字曼荼羅〉
 一巻 二巻 三巻 四巻 五巻 一字九曜 北斗 三十仏 十二光仏 阿弥陀 十一面 馬頻 請観音 千手 金剛夜叉 大威徳
〈経文〉
 仏説消除疫病神咒経 摩訶般若波羅蜜多心経 略法華経 法華経肝心陀羅尼
〈図像〉
 普賢十羅利女 地蔵十王 持国天 乾開婆王 詞利帝母 両頭愛染王 愛染明王  摩利支天 最勝吉祥仏 金色成就仏 光音自在仏 運意通勝仏 大日如来 不空成就仏 無量寿仏 聖観音(土)  不動明王(羅) 木曜星 月曜星 計都星 火曜星 日曜星 延命 如意輪 准提 十一面 馬頭 軍茶利 大威徳 不動  降三世 聖天 荼枳尼天 韋駄天 毘沙門天 広目天 増長天 宝生仏 阿しゅく仏 大黒天神 弁才天 最勝王  妙童菩薩 牛頭天王 波利采女 金曜星 水曜星 土曜星 羅候星 泰山府君  薬師瑠璃仏 法海遊戲仏 広達智弁仏 金剛夜叉 薬師(木) 勢至(月) 釈迦(計) 虚空蔵(火) 千手(日) 阿弥陀(金) 弥勒仏(木) 薬師十二神将 不空羂索 千手二十八部衆
〈梵字〉
 普遍光明清浄熾盛如意宝印心無能勝特大明大隨求即得陀羅尼か 宝篋印陀羅尼 消災吉祥陀羅尼 普賢菩薩陀羅尼 十羅刹陀羅尼 毘沙門天王陀羅尼 持国天陀耀尼 決定往生真言 同心中心真言 如意輪真言 同小咒 滅決定誓真言 同心真言 仏頂冥殊陀羅尼 大仏頂心咒 二十八宿真言 大集経破地獄真言 焔魔天真言 大黒天真言 四天王惣咒 妙見菩薩真言 同破地獄真言 荼枳尼咒 訶梨帝母真言 一切如来灌頂真言 一切如来随心真言 一切如来結界真言 一切如来金剛被甲真言 一切如来心中心真言 一切如来灌頂印真言 一切如来心印真言 勇施菩薩陀羅尼 薬王菩薩陀羅尼 千手陀羅尼 薬師如来真言 帝釈真言 日天子真言 愛染王真言 阿弥陀小咒 虚空蔵真言 月天子真言 同真言 父母成仏真言 梵天王真言 同真言 四恩成仏真言 阿弥陀大咒 准提観音真言 聖観音真言 不空羂索観音真言 馬頭観音真言 同真言 光明真言 十一面観音真言 千手真言


ほか


★状態★
2014年の古い本です。
外観は通常保管によるスレ程度、
カラー写真図版良好、目立った書込み・線引無し、
問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください)


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